
Vol.7
Vol.7
結婚して初めてのおしゃれな食事

私、奈良市に住む只今八十一才の者です。今年十月はじめ、帝国劇場に入りたく上京。その折、孫が東京會舘はこの劇場の並びにあるのよ、と言った時ふと脳裏をよぎったのは、今から五十余年の昔、私は大阪の郊外に住んでいた時のこと。
夫の実家は東京、大学も東京であったが勤めは大阪で、東京へ出張すると、東京會舘で黒い蓋で胴は白でねじったパイの絵の描かれている丸い缶入りの、チーズパイを買ってきてくれた。それが大好きになって出張の度に頼んだ。
もう随分昔のことで記憶も定かでないが、私も一緒に東京に行く機会があり、是非東京會舘へ、そしてそこで食事をする事をねがった。夫はちゃんと連れていってくれた。何を食べたのか覚えていないが、その時ワインをお願いしたらソムリエの方が来られ、ワインの栓をぬいて、その栓を渡され、夫はそれを匂いうなづいたら、次は試飲のグラスを渡され、それもハイと言う様に首を縦にした。
やっと二人でワインを飲み、食事も終わり夫が煙草を吸おうとすると、さっと火をつけてくださった。こういう所で食事をしたのは初めて、東京育ちの夫も後で緊張した、と言ったので、私は大笑いしてしまった。一寸は格好のええ主人と思っていたのに。結婚してはじめてのおしゃれな食事であった。
その夫も二年前に世を去った。孫の言葉から若い頃のことを思い出し、孫と訪れたいと思った。
秋田 敬様